平城宮東南隅出土冶金関連遺物について再検討を行った。今年度は主として平城宮第32次・32次補足調査出土の冶金関連遺物を対象として分析を進め、いかなる業種の冶金関連工房が存在したかを追究した。冶金関連遺物出土状況を分析した結果、これらの冶金関連遺物は多くが第32次補足調査区内工房ないしその北側の工房から投棄されたものと考えられた。 これらの冶金関連遺物には鉄塊などの鉄関連遺物、熔結銅などの銅関連遺物、鉛滓などの鉛関連遺物、炉壁・坩堝などの冶金関連土製品、砥石等の冶金関連石製品、その他の遺物がある。冶金関連遺物の詳細な分類と自然科学的分析からは、奈良時代末から平安時代初めに、平城宮東南隅において鉄鍛錬鍛冶、銅精製ないし精錬、鋳銅、鉛調整加工に関わる作業あるいは操業が行われたと推定される。すなわち、この時期、平城宮東南隅には複数業種の冶金工房が存在していたと考えられ、ほかに漆刷毛が第32次補足調査で溝SD4100から出土していることから、冶金と冶金以外の漆工との複合冶金工房でもあった可能性が高い。しかし非冶金業種の一つであるガラス工は伴っていないと考えられる。 鉄鍛冶工房は東南隅でも北半部に存在する可能性が高く、南半部は鋳銅ならびに鉛調整加工関連工房が主体と考えられる。鋳銅には銅の精製ないし精錬が伴う可能性がある。重要な点は、銅の精製ないし精錬の技術は飛鳥池遺跡(7世紀後半)において認められる技術が奈良時代にも長く継承されていた痕跡が窺える。鉛関連技術については、平城宮東南隅ではガラス製造坩堝が発見されておらず、ガラス坩堝による方鉛鉱の直接熔解・鉛ガラス製造と副産物としての金属鉛の生成は行われていないので、7世紀後半の技術様相とは異なることが予想されるという重要な結果が得られた。
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