本研究では、(1)17~19世紀にロシア帝国が作製した主要なシベリア図およびシベリア地図帳を取り上げ、その作製目的や意義およびロシア地図史上における位置づけなどを明らかにすること、(2)ロシア帝国の描くシベリア・極東の地域像の特徴とシベリア・極東の植民地化のなかで地図がどのように利用されていたのか、利用状況を明らかにすることを目的としている。そこで、主に東シベリアの中心都市であったイルクーツク、極東の中心地域(ハバロフスク・ブラゴベシチェンスク)で実際に地図史料の所在調査を行い、当該地域史研究の文献収集も行った。イルクーツクでは、イルクーツク大学付属図書館所蔵の都市図およびイルクーツク周辺を描いた地図を閲覧し、イルクーツクの都市形成および発展の概要をおさえることができた。また、イルクーツクにある帝立ロシア地理学協会の活動拠点となった現在の郷土史博物館でも関連文献を収集した。ハバロフスクでは、極東学術図書館においてハバロフスク都市史関連の文献を収集するとともに、関連分野の研究情報の収集も行った。ブラゴベシチェンスクにおいてもアムール州学術図書館において関連文献の収集を行った。また、イルクーツク・ハバロフスク・ブラゴベシチェンスクの各都市において、都市図に描かれている街区・道路・建築物などの配置を確認し、歴史的な都市形成を地図と比較しながら観察調査を行った。 以上、2009年度は、主に19世紀末~20世紀初期のシベリア・極東の都市の状況を明らかにするための基礎作業を行い、次年度の西シベリアを描いた都市図に関する調査に継続することとなった。
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