本研究は、考古学的手法を主に用いて、中世東北アジア地域の社会文化的動態を鉄や鉄器の生産・流通の研究を通じて解明することを目的としている。そのために、中世のモンゴル・極東ロシア・北海道における鉄・鉄器の生産・流通について、実地の資料調査(文献史料を含む)を通じて検討していく。また、関係諸機関の許可を得た上で自然科学的な分析を行い、考古学的な研究成果と総合的に検討する。 今年度は研究の最終年度にあたるため、これまでの調査成果をまとめながら、必要と判断された資料調査ならびに自然科学的分析を補足的に行った。その結果、鉄を入手するために異なるシステムを構築していたことが明らかとなった。 モンゴル帝国では、モンゴル草原の外の各地の鉄生産拠点を積極的に管理下(占領下)に置き、流通網を発達させることで、生産された鉄を長距離にもかかわらず流通させることで鉄を入手していた。金・東夏(極東ロシア)では地域内生産に重点を置き、製鉄から鍛冶・鋳造に至るまで、鉄の生産ならびに職人が城内ならびに城間のネットワークの下で厳重に管理されていた。中世アイヌ社会(北海道)では生産活動は低調である一方、交易などの経済活動を活発化させることで外部から積極的に鉄を入手していた。 中世東アジアでは大規模生産地への鉄生産の集約化と製品の流通網の確立を背景として、鉄の入手において古代国家や近代国家とは異なる多様な解決方法を選択していた。 研究成果は報告書としてまとめて、国内外の研究者へ配布した。報告書は3部構成で、論考編と分析編、そして参考資料として東京大学保管の渤海上京龍泉府出土金属製品のカタログを掲載している。
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