平成21年度の研究では、キューバとアルゼンチンの研究調査を踏まえて、改めてカリブ海諸国と中南米諸国においける憲法と司法制度の違いを確認することができた。その間に、メキシコ自治大学の研究者との学術交流を深めることもできた。 平成22年度の研究では、この点に着目し、合衆国とキューバ、ハイチ等のカリブ海諸国との関係、とくに、1898年以降、これらの国々での合衆国の占領政策の内容とその影響を中心に調査研究を進めた。合衆国は、1787年、建国とほぼ同時に、北西部の領土を含むようになった。このような合衆国の領土拡大は、訪米大陸では、最終的に新たな州の設置を認めるという方法で実行された。この「領土拡大の類型」は、1787年の北西部条令(the Northwest Ordinance)に既に示されていた。この条例は、領土獲得から州になるまでの3段階の過程を予定していた。 この領土獲得から州の地位までの過程は、1898年に絶たれた。合衆国は、米西戦争の結果、旧スペイン領の島々を占領したが、キューバには当初から独立することを約束し、グアム、プエルトリコおよびフィリピンの法的地位については明確にしなかったが、結局、これらの植民地を合衆国の州とはしなかった。アメリカ人は、異なる人種や文化をもつ人々に遭遇したからである。そして、こうした植民地では、合衆国は、植民地の基本法である組織法や憲法を制定し、合衆国憲法の「権利章典」とほぼ同じ内容を掲げさせた。つまり、合衆国は、自国の憲法理念を植民地に応用するかたちで統治したのである。その後、アメリカ合衆国は、第二次世界大戦に勝利し、占領というかたち日本に遭遇し、日本の非軍事かと民主化を推進し、日本国憲法を制定した。したがって、日本国憲法の制定も合衆国憲法の理念がカリブ海諸国やフィリピンに拡大する過程の延長に位置付けることができることが分かった。
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