平成22年度は、前年度に引き続き昭和戦前期昭和10年代半ばまでの基礎的データの加工を行ない、一部の省庁を除き、明治20年代から昭和10年代半ばまでの各省庁の局課編成の変更とその数量的な変化について、経年的な動向を掴むことができた。 その結果、今年度までに得られた成果としては、(1)官僚制の量的拡大が顕著であった時期は、日清戦後経営、日露戦後経営および第一次大戦末から戦後期(1916~20年)であるが、伸び率・絶対量ともに、1910年代後半期の拡大が顕著である。官僚制の絶対数では約80%拡大し、局数で50%、課数では70%前後の拡大を見た。(2)逆に行政整理(行政改革)による官僚制の量的拡大の停滞ないし縮小という点では、周知の初期議会の政府・民党対立下での官僚制の縮小を別とすれば、1910年前半(明治末年から大正初期)の停滞が著しい。特に山本権兵衛内閣期の行政整理は、それなりに徹底したもので、官僚数の絶対的な減少(但し減少率は極めて小さい)とともに、局数で約20%の削減、課数では10数%の削減を見ている。(3)1920年代の緊縮財政を唱えた憲政会→民政党系の行政整理は、官僚数の停滞ないし微増、局課編成における微減に留まっている。 以上のような成果があったが、研究上の困難もまた明確になってきた。それは、(1)司法省など一部で省内の局課編成の変化を明らかにする資料がない。官報の告示等でも課レベルの変遷の全てを明らかにできなかった。(2)課単位での職員数を把握するには、内閣印刷局「職員録」の掲載内容にゆらぎがあり、通年的にデータを加工できない。(3)現業部門については、陸海軍工廠を除いても、経年的な信頼できるデータを得ることが困難である。このような理由から、今年度も論文の形で成果を公表することができないでいる。
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