研究概要 |
今年度は、4年間の研究の初年度であり、研究の基礎部分が中心となった。 寺本は、国内では外務省外交史料館で第1、2回日露協商の時期の日露関係を調査し、1907年の時期、ロシアのイズヴォルスキー外相が日本の対露再戦を非常に警戒し、日本との協調を強く望んでいたこと、1910年では日米関係が日露関係に影を落とし始めたことを明らかにした。国外では、イギリス国立公文書館を訪問し、英露間の外交電信の中で、林董外相の外交交渉での率直さ、穏やかさが指摘されていたこと、またイギリス側外交資料でもイズヴォルスキー外相が日本を強く警戒し、英露関係も日露関係に左右されることを明言していたことや、ロシアの同盟国フランスにも日本に圧力をかけることを要請していたことなど、日露対立から接近についての重要な外交資料を収集できた。 ミハイロバは、ロシア・サンクトペテルブルでロシア国民図書館、科学アカデミー図書館における資料収集、特に1906年-1907年の時期の"Novoe vremia"新聞に掲載した日露関係に関する記事を収集した。また、同時期の日本国会図書館所有の『東京日日』(『毎日』)、『時事新報』のマイクロフィルムを購入、収集した。そして、京都大学図書館で1906年『大阪毎日新聞』に掲載したロシア、日露関係に関する記事、特に高石眞五郎の執筆(明治39年1月〜8月ロシア特派員)を収集し、日露関係の世論形成に関する重要資料を収集した。 研究協力者トルストグゾフは、ロシア帝国外交資料館に保存されている史料を調査し、オピシ470ジェーラ184(1906),81,112,127,172a,211(1907)と132(1908)を検討した。このオピシには在日ロシア駐露公使パフメテフの外務省への報告が集まっていたが、その中で、在ロシア英国大使ニコルソンの1907年報告書を発見し、調査した。 主に日露協商と日露漁業などの協定締結に対する日本、ヨーロッパ、ロシアの評価と反応に注目した。そして協定調印後の日露関係と諸外国の行動をも検討した。日本では、The Japan Times(1907年8月まで)の複写を実施した。 今後は、これらの資料分析を一層深化させ、またさらに多方面の資料収集を行う予定である。
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