19世紀ドイツにおける中小産業経営の発展とその制度的基盤を解明すべく、平成20年度は西南ドイツ・バーデンの小営業政策を取り上げ、その歴史的発生要因に関する問題を検討した。具体的には、バーデン小営業政策の起源と目される時計産業振興政策に注目し、前三月革命期シュバルツバルト時計産業の動態、とりわけ時計工の存在形態と1840年代の危機の実体を明らかにすることで、小営業政策が始動するに至った歴史的基盤を解明せんと試みた。 これにより明らかになったことを要約酌に記せば、次のようになる。 時計産業振興政策とは、国家によって保全されるべき中間層として、理念型的意義を有するシュバルツバルト時計工の没落危機に際し、国家はこれを憂慮し、時計産業の国際競争力強化を目指し国家介入を開始した。それは18世紀中葉以来の継続的人口増加を背景にした「流行遅れ」、「粗製濫造」といった時計産業の競争力問題が、工場制工業として立ち現れた外国時計産業からの競争圧力により`、販売危機の局面で一挙に顕在化したことへの対応であった。なかでも「製造のアメリカン・システム」に基づく量産体制をいち早く確立した合衆国時計産業の西ヨーロッパ進出は、シュバルツバルト時計工の経済的独立の基盤を揺るがし、産地の存続を危うくする事態であったが、こうしたことを背景に政府は最終的に国家介入を認めることとなった。大量生産体制を挺子に圧倒的な生産力水準に到達した合衆国経済に対し、19世紀末のヨーロッパ経済は「アメリカの脅威」という危機感を表明したが、シュバルツバルト時計産業において、それは1840年代に始まり、バーデン小営業政策を発動させることになった。
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