19世紀ドイツにおける中小産業経営の発展とその制度的基盤を解明すべく、平成21年度は西南ドイツ・ビュルテンベルクのシュバルツバルト時計産業を事例に、互換性部品技術を武器にヨーロッパ市場に輸出攻勢をかけるアメリカ(合衆国)時計産業の「脅威」とこれに対するビュルテンベルク政府の対処策を検討した。これにより明らかになったことを要約的に記せば、次のようになる。 シュバルツバルト時計産業ではアメリカの脅威は1840年代末に現実のものとなり、独立自営の時計工の窮乏化が進行した。これに対してビュルテンベルク政府の産業振興政策の代表部である「工商業本部」は、アメリカ時計産業への対抗を企図し、アメリカ式互換性時計部品工場の建設を強力に推進した。これは、民生品部門でのアメリカ化をめぐる西ヨーロッパで最初期の事例と言ってよい。 だが、工商業本部は工場制工業の創出を目指しつつも、そのために独立・半独立の手工業的生産者による既存の社会的分業体制を解体しようとしていたわけではない。確かに工商業本部は、アメリカ時計産業の生産過程革新の本質が互換性部品技術にあることを突き止め、これがプレス技術を用いることで低生産費と製品価格の引き下げに結びつきうるとの認識に到達していた。しかし、工商業本部は、中小産業経営の保全を目的に産業振興政策の目的とする組織であり、互換性部品技術の採用により時計部品工程の近代化を図ることは、時計工の組立工化に途を開くというより、時計工保全のための経済的条件を創出するものと理解していた。互換性部品技術は、大量生産体制成立後の労働力編成の変容を知る今日的視点でみれば、熟練工の半熟練工化、独立時計工親方の組立工化の危険を随伴するものである。しかし、19世紀中葉のヨーロッパ経済を舞台に産業振興策を展開する工商業本部にとって、互換性部品技術は中小産業経営の保全と矛盾するものでは必ずしもなく、むしろ手工的生産体制近代化の要と捉えられていたのである。
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