研究最終年度の本年は、諸般の事情から予定していた史料収集等ができないことが分かったため、研究実施計画を一部変更して文献収集と研究動向分析に注力した。中世南欧世界の研究は、ここ20年でかなりの進展と、なによりもパラダイムシフトと呼んで差し支えないほどの分析視角の変化を引き起こしている。既知の潮流も踏まえ、以下3点にまとめる。 1 中世初期にも文書作成の社会的伝統が継続したイタリア北部社会では、農民(自有地所有)もふくめ社会的なリテラシー能力が高いという評価が、いっそう重視されるようになった。文字利用慣行が相対的に少なかったとされる北部ヨーロッパとの比較から、これを支えたのが文書作成においで書記となるノタリウスであった。 2 中世社会を構築する社会的諸関係のなかで、狭義の封建制度(領主と封臣間の忠誠誓約)について、南欧社会は、典型とされるロワール=ライン間地域とかなり異なることはかねてから知られている。領主=農民関係も、南欧社会ではとりわけ中世初期には異なっている。古代ローマ以来、農民は法的には自由身分を保持しつつも、土地の貸借関係においては農奴的な制約の多い領主=農民関係に入っていくと考えられていた。しかし特に8世紀から9世紀においては、古代ローマ以来のパトロン=クライアント関係に基づく、封建的はいえない農民と大規模土地所有者の関係が連続しているという。社会的上層での封臣関係の形成と農村社会での封建的領主=農民関係の形成には、時代的にずれがある。こうした農村社会の見直しは、商業・手工業の発展がなお限定的であった都市の評価に影響する。中世初期には、都市と農村には補完性という以上に一体性が強い。私文書(農地契約)に基づく契約を必要とする土地所有者と直接耕作者の関係は、封建社会の原点というよりもローマ的社会慣行の連続である。 3 中世初期のイタリア北部の都市的集落には、司教の周辺に存在する人材の中に、ノタリウスとしての能力と素養のある人物が存在している。
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