1:本年度は、我が国の流通国際化の黎明期である戦前・戦中期における日本小売業の海外進出に光りをあて、その実体の解明とともに、その時期の国際行動が、戦後の日本の流通国際化に与えた影響を検討した。具体的には、日中戦争開始以前と、日中戦争開始後を対比させながら、進出の要因を分析した。対象とした百貨店は、三越、高島屋、大丸、白木屋、松坂屋、そごう、宮市大丸、福岡玉屋などである。資料は、各社の社史、戦前の百貨店組合の『調査彙報』などを用いたが、三越と松坂屋については内部資料を参照した。以下要点を述べる。 2:戦前の海外進出は1906年(明治39)の三越による京城(現ソウル)出店が最初であり、同社は翌年に大連にも出店している。しかし、それ以外の百貨店の海外出店は昭和に入るまで見られない。この間、明治末期から昭和の初期にかけては、朝鮮半島や満州、台湾などでの邦人人口が急増して市場が拡大したが、その需要は地元の邦人経営の百貨店や日本の百貨店の出張販売によって吸収されていたようである。しかし、1937(昭和12)年に日中戦争が開始されると、一転して、多数の百貨店が中国大陸に進出していく。これは、1938年に軍事占領地の物流を百貨店に担当させるべく、商工省が「進出要請」を百貨店に行ったからである。しかし、その要請を受けた背景には、百貨店法の施行や、統制経済の強化などで、百貨店が追い詰められていたという事情があった。 3:結局、戦前から敗戦までの間に、大小合わせて48の店舗が海外に出店された。そのうち、曲がりなりにも百貨店とよべる規模のものは、22店舗であった。地域別では、中国大陸が65%を占めている。また、戦中の百貨店は、小売機能よりも商社機能(卸売)での進出や酒保運営、ホテル運営、各種の工場運営、農場経営など多彩な機能での進出を行ったことも明らかとなった。日本の百貨店は計408の拠点を海外に設けたが、小売機能の拠点はわずか12%弱に過ぎず、50%強が卸売・貿易・収買機能の拠点であった。
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