本年度の主たる成果は、日本における産業精神保健の歴史を、文献資料および一部フィールドワークから得られたデータをもとにして、まとめあげたことである。その一部は、まず日本社会学会で「産業精神保健の社会学:歴史的考察を中心に」と題して報告し、次に歴史の前半部を、論文『「産業精神保健」の歴史(1):1950年代~1970年代を中心に』にまとめた。具体的には、まず4つの歴史的区分を導入した。第1期は1950年代中期から70年代初頭であり、これを創生期と名付けた。第2期は、1970年代前半から80年代前半の潜行期。第3期は、1980年代中期から90年代前半の展開期。第4期は1990年代中期から現在に至る拡充期である。 第1期は、一部大企業に限られるが、常勤の精神科医が企業での活動を開始した時期である。理念的には、より予防的な精神保健活動が唱えられたが、実際には治療及び職場復帰支援が中心的であった。しかし、1970年前後には、企業による精神障がい者の排除に荷担する活動といった批判が力を増し、精神科医によるこの領域についての発言は急速に失われていった。第2期は、主として専門が精神医学でははない産業医の学会において、産業精神保健についての研究会が小規模ながら継続されていた。精神科医たちが、改めてこの領域について発言することが可能になったことが、第3期の始まりともいえる。 社会学の知的伝統として、精神医療は社会的排除の装置として論じられる傾向もあるが、とくに始めの時期について、臨床家たちの回想等を収集することを通して、彼らがときに企業側の意図に抗して活動しながら、とりわけ専門分野を同じくする医療者集団内部で強力な批判に曝されたことが明らかとなった。こうした精神医療者内部での意見対立の歴史、あるいは、「産業医」と「精神科医」との間にある問題認識の相違や企業内立場の相違などは、メンタルヘルス専門家が産業領域で果たす役割について、フィールドワークを通して検討する上でも、重要な認識的条件となるだろう。 また、青年層の就労支援施設でのフィールドワークに着手しているが、うつ病による失職のケースも一定数把握された。そこでは「復職」という目標設定の条件や妥当性自体が問われることも観察された。「復職支援プログラム」は、今後の中心的検討課題となるため、重要な予備的知見である。
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