研究代表者の坂田は、昨年度に引き続き沖縄離島への調査を行った。特に、昨年度に親子ラジオの存在を確認できた竹富島では、実際に親子ラジオ業を営んでいた友利氏にインタビュー調査を行い、歴史的な背景を確認できた。 西表島では図書館では見つけることができなかった村史において親子ラジオ導入の経緯が確認でき、その記述から実際に親子ラジオ業を営んでいた方にインタビューすることができた。インタビューから、今回は調査に行けなかった波照間島にも、親子ラジオが存在していたことも判明した。 与那国島では、2つの親子ラジオが同時に存在していたことが確認され、双方の関係者にインタビューできた。そのうちの、「宇宙放送社」関係者からは資料の借り受けも行い、次年度の予算において資料のコピーを行う予定である。また、「宇宙放送社」は、1964年の東京オリンピック開催に合わせ、台湾のテレビ局が発信するオリンピック映像の電波を自主的に受信し、沖縄・八重山ではもっとも早くテレビ受信を行っていたことも新たに判明した。この事実に関しては、新たな研究テーマとなりうる重要な結果であると考えている。 そのほか、沖縄本島読谷村の郷土資料館でも、村単位で親子ラジオが導入されていった経緯が、新たな資料によって確認できた。 共同研究者の福間は、昨年度に購入した占領期発行の新聞復刻版分析を中心に、研究活動を行った。
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