平成21年度は、日本のハンセン病政策とその社会事業の在り方に決定的な相違をもたらす隔離監禁主義と治療解放主義の2つの考え方うち、前者の隔離主義の運動に注目して未解明な課題を研究した。その成果は、下記の(1)(2)であり、(3)は未完(学会発表要旨は年度内完成)である。 (1) 1920年代後半から隔離主義の立場で「救癩」活動を展開した日本MTL(日本救癩協会)の機関誌「日本MTL(楓の蔭)」(第1~264号、1926~1953年)や関西MTL等の日本MTL関係資料の復刻(『近現代日本ハンセン病問題資料集成(補巻16~19)』不二出版)とその解説を執筆し、日本MTLの隔離主義運動の成立・展開過程を概括するとともに、治療解放主義の影響も存在していることを解明した。 (2) 上記(1)の研究作業の中で、当初の研究計画では課題として意識されていなかった希望社(社長・後藤静香)の「癩病絶滅」運動が、日本MTL以上に隔離主義運動の展開に重要な影響を及ぼしていることが発見され、その事実関係を発掘・整理・検討し、日本社会福祉学会第57回全国大会(2009年10月)で報告した。その内容を修正加筆して、「長崎大学教育学部紀要-教育科学-」第74号(2010年3月)に発表した。 (3) 上記(2)の作業の中で、「無癩県運動は1929年に愛知県で始まった」という定説とそれへの疑義が提起されている昨今の混沌とした研究状況に対し、希望社愛知県聯盟の「癩病絶滅」運動に注目した実証的解明が問題解決の手がかりを提供してくれるとの仮説のもとに、愛知県における「無癩」運動の成立過程と十坪住宅運動への転換過程に関する研究に着手した。その成果は、社会事業史学会(2010年5月)で発表し、論文にまとめる予定である。
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