大澤・永井に代表される東大生理学教室メンバーのドイツ時代の優生思想形成過程の背景を穏健派フェミニズム論の母性と対比させつつ、平成20年度と21年度前半にかけて重点的に検討。当初予定していた永井の晩年までを辿る作業は、史資料収集が平成21年1月の事故で中断を余儀なくされ、遅れが出た。永井の生涯は通観できるが、自伝研究の後半生の執筆に不可欠と考えられる国内外での医学雑誌他の調査は、次年度以降に残された。 【国内外の調査と課題の進捗状況】 1.国内:東大生理学教室について-主に大澤謙二・永井の系贈 (1)大澤生理学テキストの目次・概要整理→済み(2)大澤著作では、優生結婚や結婚制限法情報に関する永井への感化力を見るために退官後(1915-1926)に増える女性雑誌への寄稿を分析→継続中(3)大澤花柳病予防関連では1905年日本花柳病予防会発会と副会長になる経緯に永井が関与しない背景を調査→継続中 2.国内:婦人公論誌上に見る平塚と永井の優生思想-フェミニズムvs「反」フェミニズム (1)平塚のフェミニズム論と本質主義→継続中(2)平塚を揶揄する「反」フェミニズムの潮流とその系譜が唱える優生結婚・結婚制限情報→継続中 3.国外:ドイツ語圏のフェミニズム論と結婚制限関連の文献は、平成21年度夏にベルリンを拠点に収集する体制を整えた。スイス・オーストリア関連の史資料もベルリン経由で集める方針に切り替えた。これは主たる検討時期を永井前半生に絞ったからでもある。
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