これまで京都市教育委員会「生徒福祉課」の設置経緯については、非行問題の増加とともにその必要性が求められて設置されたと捉えられていたが、それ以外の要因として同和地区児童生徒への支援施策としての意味もあったことが関係者からの資料提供および聞き取り調査から明らかとなった。 また、同時代には全国各地で学校福祉実践の芽が芽吹き始めており、こうした実践を組織化する動きも「長欠児童生徒援護会」(黄十字会)によってなされようとしていた。そして、こうした動きの背後には、有力政治家の関与も見られ、学校ソーシャルワークにつながる学校福祉実践が、ある時点では国家施策として取り上げられようとしていた可能性も示唆された。 こうした昭和30年代に全国の各地で展開された学校福祉実践は、昭和40年代になると徐々に姿を消していくこととなった。その原因としては、非行問題や同和問題が収束していったのと同時に、事業担当者の事業意識の低下があげられる。また、別の側面としては、教職員組合運動による教員の勤務時間外労働の見直しや国家体制を堅持するために「福祉」を敬遠する指向が働いた可能性が指摘できる。 学校福祉実践の歴史的経緯から見ると、今日、国家施策として全国各地で展開されようとしている学校(スクール)ソーシャルワークは、導入の経緯は別として、かつての学校現場に求められたように、時代の要請として必然的に導入されたと考えることもできる。学校福祉実践の歴史的経過の中に今日の学校ソーシャルワーク発展のいくつかの手がかりを見つけることができた。
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