平成23年度では、これまでの実態調査で得たデータ・資料、とくに聴き取り調査の内容を社会学の視点から分析を行った。<1>まず、「『中国残留孤児』の老後保障を求める過程とその影響」という投稿論文を執筆し、国際アジア文化学会の学会誌『アジア文化研究』へ投稿し、掲載されることになった。論文では、(1)「中国残留孤児」たちの老後保障を渇望した背景、(2)老後保障を獲得するための闘争過程、(3)老後保障を求める根拠、(4)老後保障を求める過程での意図せざるをえなかった影響などについて分析した。「福祉は人権だ」と言う表現がみられるが、これは政治用語に過ぎない。「中国残留孤児」たちの老後保障を求めた過程で頻繁に使われた言葉は「人権」ではなく「祖国」「日本人」であった。新しい支援策によって彼ら・彼女らの老後生活は保障されているが、しかし、「中国残留孤児」たちは「自分の人生は不幸だ」と言う暗示を支援者たちからかけられてしまった。 <2>『残留孤児の歴史社会学一二つの近代化を生きる』という科研費の研究成果報告書(318ページ)を書き上げた。本課題の最終年度で、これまでの調査資料の全体についての分析を行った。中国残留孤児の老後の問題について、日本の戦前の満洲移民策、戦後の引き揚げ行政、帰国支援と定着促進、老いた中国残留孤児への新支援策、残留孤児を支えてきたボランティアなどの視点から複眼的に研究した。つぎの四点が明らかにされた。<1>残留孤児は現代戦争の悲劇である。<2>残留孤児の日本への「帰国」は日中の近代化の時間差や日中間の経済格差を背景にした移住現象である。<3>残留孤児の帰国と老後保障への支援は日本人という国民の「創出」「濾過」「後始末」の過程である。<4>残留孤児問題は歴史の偶然におこった一回限りの社会現象である。日本政府とマスメディアに政治的に利用されてきた中国残留孤児問題は彼らの個人の人生と日中間の近代化の時間差が偶然に重なっておこった現象の一つに過ぎない。中国残留孤児は近代の日本国家に利用され捨てられた。彼らの「祖国」日本への帰国支援と定着促進および老後の新支援策の制定はまるで不発弾の後始末のようなものであった。
|