児童保護・福祉の実践史にとって、1947年の児童福祉法成立に伴う措置制度の導入は大きな転換であった。生育家庭で生活しえない児童のために公的機関が「居場所を決める」(=placement=措置)ことが措置制度の基本である。措置制度が想定する「居場所」とは、家庭ないし家庭に代わる場であるが、学齢児童の「居場所」から学校は省けない。そこで今年度は、児童福祉施設に措置された要保護児童の就学支援を取り上げて整理した。 児童福祉法制定時の議論の記録と当時刊行された多数の解説書等を基礎文献とし、昭和初期の児童保護文献と比較検討しつつ、第二次大戦の戦前・戦中・戦後を通して児童の養護を行っていた施設で戦争直後から養護実践に従事した旧職員に聞き取りを行い複層的な理解につとめた。そのうえで、以前から継承された事柄と措置制度の導入に伴い断絶を余儀なくされた事柄を整理・分析した。 戦前期には、就学奨励が国家的課題でありながら貧困が就学猶予・免除要因として認められ、要保護児童の義務教育が保障されにくい現実があった。したがって、児童福祉法・学校教育基本法により、施設入所児童の義務教育が議論に付された意味は大きい。施設児童の義務教育保障は、財政的措置がなされたことで現実化した一方で、非行児童の問題を取り残し義務教育を超える進学との間の線引きがより明白になった面もあった。 児童福祉法が描いた児童福祉制度のデザインは、必ずしも既存の活動実績と方法論を尊重したものではなかった。措置制度は様々な規制を伴い、とりわけ児童福祉施設最低基準が理想的な実践の追求を難しくしたことは否めない。これについては、当時から「児童福祉施設の現状の平均値に近いものとなる」(松崎芳伸『児童福祉施設最低基準』日本社会事業協会、1949、p.26)という批判もあった。
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