20世紀初頭ドイツにおいては、相対的な民主化が進められたワイマール時代から全体主義のナチ時代への転換があった。この時期において教育学も政治的・社会的変革の影響を受けつつ展開し、また転換することになる。本研究はドイツ教育学の生成および転換の基底としての社会思潮を、総合雑誌における教育論の分析を通して明らかにすることを目的とした。 平成22年度は、ドイツ改革教育学運動と密接な関係を有したワイマール期における保守革命論の分析を試みた。この分析を遂行するために、保守革命論の思潮を代表し、後のナチ時代には保守陣営からナチ批判を展開した総合雑誌『ドイツ展望』(Deutsche Rundschau)における教育論に着目し、分析を行った。その結果、『ドイツ展望』にはナチ期の全体主義的教育学へと発展する線と保守的でありながらナチの全体主義的教育政策に批判的な線と、相対立する線が錯綜していたことが確認できた。 1919年から42年まで『ドイツ展望』の編集長を務めたルドルフ・ペッヒェルは、ドイツ改革教育運動に対して精神的な影響を与えたメラー・ファン・デン・ブルックとの親交を持ち、保守革命論のイデオローグとして認められた人物である。彼の周囲に集まった『ドイツ展望』のライターたちも、こうした思想傾向をもっていた。そこのサークルには、ナチ時代において「ナチ的教育学」を展開した哲学者ゲルハルト・ギーゼ、また文芸評論家パウル・フェヒターらがいた。ギーゼは『ドイツ展望』の教育ないし教育学関係記事を担当し、次第にナチ・イデオロギーへと接近していく。一方、フェヒターは文芸批評の形式を取りながら文化・政治批判を行い、教養主義的な立場からナチの教育政策を批判した。この二人における思想傾向の相違は、教養市民層としての生きられた経験の質に求めることができ、保守革命論の中にも全体主義に対する批判的契機が含まれていた。
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