報告者は、「四日市の公害教育」の戦後数十年間の変遷について研究を行ってきた経緯がある。この研究の視座を広げる目的で、四日市以外の地域の公害教育を調査研究し、比較検討したいと考えている。21年度は特に水俣と富山の公害教育に関して資料収集やインタビュー調査などを実施した。その結果、戦後から現在までの2つの公害教育の変遷が判明し、現在論文作成中である。 富山市では、イタイイタイ病を扱った公害教育実践が非常に少なかったことが判明した。例えば、戦後の社会科の地域学習のための小学校副読本においては、イタイイタイ病の記載が現在に至るまで全くなく、中学校では2000年代からようやく36ページ中、半ページ強のみ記載されるようになった。組合での公害教育研究もほとんどないが、70年前後に公害裁判の傍聴をしたり、勤務先の中学校でイタイイタイ病を熱心に取り入れた教師がたったひとり存在しており、この方にインタビューを実施した。一方の水俣では地域学習のための社会科の副読本そのものはない。しかし、市内の小・中学校では、70年代から一斉に水俣病の授業を毎年実施してきたという。水俣ではこの40年間、公害教育がタブー視されることはなかったものの、教員によって取り組み内容に差があるという。市全体の取り組みの原動力となったのは、70年代前半の結成以来、水俣病を積極的に学校で教えることを推進してきた現地の民間教育団体「芦北・水俣公害教育サークル」の教師たちである。彼らにインタビューを実施したり、サークルが発行している資料などをコピーさせていただいた。 21年度の研究業績としては、一橋大学の先生方との共著として、土井妙子「もうひとつの公害教育-四日市市立塩浜小学校における健康教育実践-」(島崎隆編著『地球環境の未来を創造する-レスター・ブラウンとの対話-』旬報社、2010年3月)がある。この続編も紀要などに書く予定である。
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