本研究は、日本の学校における経営参加組織として長らく慣行として置かれてきた職員会議などの教職員の経営参加組織について、占領下の教育改革期にさかのぼり制度化の特徴を明らかにすることを目的としている。とくに占領初期の1946年に文部省学校教育局長名で出された通達で、各学校にその設置が奨励された「学校長司会によらざる教職員の自主的な会合」としての教育研究協議会に注目し、その実施内容や取組みの浸透度合の差が、その後の職員会議などの経営参加組織の性格付けにおける地域間の差異を産み出す要因の一つとなった、との仮説を実証することを主要な目的として設定した。 当初の計画では平成21年度までに占領下の教育政策に関する主要な文書(GHQ/SCAP文書、「戦後教育資料」など)や地方教育史に関わる資料、教員組合や校長会等の教員団体の資料等の収集を終え、最終年度の平成22年度は研究成果のとりまとめに専念する予定であったが、GHQ/SCAP文書の資料収集及び分析に関わる作業に思いのほか時間がとられ、地方資料や教員団体の資料等の収集はやむなく最終年度に持ち越すこととした。幸いGHQ/SCAP文書に地方の実態や教員団体関連の資料が多く含まれており、しかも相当詳細な記載がなされていることから、同文書のみに分析対象を限ったとしても当時の地方や教員団体等の実態をかなりの程度解明できる見込みである。研究成果発表については予定通り平成21年度の日本教育行政学会において行ったが、その際には教育研究協議会に関わる政策転換の発端について実証したにとどまり、設定した課題全般を解明するところまでは力が及ばなかった。その点については、最終年度の課題としたい。
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