研究概要 |
国文学者の森博達(1991)は日本書紀を,歌謡の漢文の文体から,巻毎にα群(正しい漢文で書かれた巻の群)とβ群(漢文に倭習の見られる巻の群)に分類した。我々は河鰭・谷川・相馬(2002)において,当時の地球自転速度変動を考慮し,日本書紀の天文記録について,α群とβ群で信頼性に違いがあることを主張した。α群の記録は信頼性に乏しいがβ群の記録は信頼できるというものである。これに対し,歴史学者の細井浩志(2007)は群によって信頼性は変わらないと主張した。そこで我々は今回の研究で,晴天率や観測数の統計を援用して日本書紀の天文記録をさらに詳細に調査し,我々の主張を強める次の結果を得た。細井が古代の日食の計算法が渡邊敏夫(1979)や斉藤国治(1982)によりほぼ完成したとしているのは全くの誤解である。α群には天文記録は少なく,観測されたと言える記録はひとつもない。β群には,天文記録が多く,そのうちの約半数は実際に生じたことが現在の天体運動理論と地球自転変動の知識から計算で確認できる。そして,それらは日本での観測であるとしか考えられないものと,記録の用字・用法から日本での観測であると推論できるものに分類できる。残りは現在の知識からでは観測であることが確認できない,局所的な現象である。持統紀の日食記録は観測に対応しないことが確認できた。持統紀には惑星同士の接近の記録が1つあり,これは観測であると考えられるが,最接近の現象を見逃しているのは不審である。日本の観測天文学は7世紀に始まった。
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