研究概要 |
薬物の多くは血液中から細胞膜に取込まれ、単純拡散によって膜を透過した後、標的とする受容体に結合する。従って、薬物の細胞膜への取込みや膜内における輸送過程、すなわち、ドラッグデリバリーのメカニズムを明らかにすることができれば、作用の発現や毒性を制御し、薬効や副作用を予測する上で有効な情報が得られるものと期待される。一方、生体膜は、生理的条件下で、絶えず熱的に揺らいでいる。ドラッグデリバリーもまた、このような膜の熱揺らぎと密接に関わっているはずである。本研究では、多核NMRとパルス磁場勾配(PFG)法を活用して、ソフトな膜のなかの分子の運動を直接観測し、膜の熱揺らぎによる「モデル膜へのドラッグデリバリー」を解析する方法論の確立、種々の薬物のデリバリーのメカニズムと膜の熱揺らぎとの相関を明らかにすることを目指した。 はじめに、生体膜モデルとして卵黄レシチンの一枚膜ベシクル(直径100 nm)を用いて、熱揺らぎにともなう膜中の薬物や脂質分子の運動をin situで観測し定量化する方法を独自に開発した。高分解能溶液NMRとPFG法を組み合わせて、まず、膜に結合した(bound)抗がん剤・5-フルオロウラシル(5FU)と水中に残った(free) 5FUを、19F核のプロ-ビングにより同時に計測した。PFGシグナル強度の減衰に対して、bound, free 2状態間の交換を考慮したBloch方程式の解析解を求めて、5FUの「膜への結合と解離の速度定数」、「膜への結合量」ならびに「膜のなかの拡散係数」を決定した。続いて、水への溶解性が低い内分泌かく乱物質ビスフェノールAのフッ素化物・フルオロビスフェノールA(CF3) 2C(C6H4OH) 2について通常の一次元19F NMRスペクトルによる解析を行い、熱揺らぎによる「膜への結合量」、「膜内の拡散運動」、「膜への結合と解離のキネティクス」、「膜への結合効率」を明らかにした。さらに、神経ペプチド・エンケファリンについて1H NMRによる解析を行い、方法論が適用可能であることを確認した。このように、多核NMRを用いて、通常の一次元測定とPFG NMR測定を使い分けることにより、さまざまな速さで膜に結合・解離する薬物の運動をin situで定量化することが可能となった。今後、種々の生理活性ペプチドの膜へのデリバリーや膜タンパク質の動態のin situ計測と揺らぎとの相関解析など、興味深い系への適用が期待される。
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