新潟県上越市高田の雁木通りについて、予定されていた第二段階の調査(共用空間と住居の相補関係とその変容過程の把握)を実施した。調査対象地に上越市南本町1丁目と2丁目を加えた。近代以降の変容過程の把握のために、近世期の絵図と明治期の地籍図を用いた。 南本町2丁目では、堀切が安政4年(1854)に埋め立てられ、明治期に宅地として短冊状に分割される過程を確認できた。そこに建つ町家には、現在も雁木が設けられている。また、明治期の道路拡幅を本町通と南本町通で確認できた。延焼防止を目的に敷地が前面から数m削られた。明治期の主屋が現存することから、道路拡幅後にも雁木が設けられたことを把握した。さらに仲町2丁目では、近代に発展した参道沿いに短冊状の敷地が割り直された過程と、そこに現在も雁木町家が建つことを確認した。 以上により、短冊状の敷地割りがなされた所に、近代以降も雁木通りが形成されてきたことを明らかとした。 短冊状敷地の屋敷構えとして、表側で雁木が道路に、裏側で空地が川や水路に面し、表と裏それぞれの空間特性が存在することを明らかとした。奥行き数十mの短冊状敷地は、雁木、主屋、中庭、土蔵までの約35mが平坦になっており、その先の約60mが傾斜した空地となっていた。土蔵とトオリニワはアマヤで囲われ、裏側に出入りの戸が設けられていた。畑として利用される空地を横切って川まで行き、共同の洗い場を利用していた。川沿いが低いために、氾濫時にも土蔵や主屋は浸水を免れた。敷地裏の隣戸境には塀を設けず、街区で連続する空地となっていた。この空地は、現在も近隣で野菜や花卉を届ける行き来や、冬期の雪の堆積場として利用されている。 奥行きの長い短冊状敷地が一体的な利用秩序を持ち、表側と裏側それぞれにおいて空間特性にもとづく共用空間を維持していることを、雁木通りの空間システムとして把握できた。
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