研究概要 |
国内への近代洋風建築の導入・推進、ひいては日本の近代化に大きな役割を果たした官庁や学校などの建築の担い手となった官庁営繕組織の活動や技術者、建設された建物についての総合的な研究はない。本研究は、長崎県営繕組織の記録である「事務簿」を主な資料として、明治時代の官庁営繕組織の実態を解明しようとするものである。 明治時代の長崎県の事務簿の内、明治後期の明治38〜明治43年の事務簿についてはすでに研究代表者が調査・研究を行っており、本研究はその前期を対象としている。本年度は、主に明治30年〜明治35年の事務簿・7冊の解明を行った。各事務簿は約400〜1,000枚の和紙書類が綴じられている。この内容は、建物別として各種稟議書を中心に、仕様書・設計書、工事の入札・工事経過・竣功図面・財政担当課等との連絡等から成る。 事務簿所載件数は明治30年度から35年度まで67件であった。その内訳を見ると、施設の新設で主なものは長崎県尋常中学校(M30)、長崎測候所(M31)、西彼杵郡役所(M32)、中学猶與館(M34)、高等女学校(M34)、島原中学校(M34)、厳原警察署佐須那分署(M34)であり、その他は増築や工作物の工事などである。建物の用途は、学校がもっとも多く、県庁舎・郡庁舎・警察庁舎・農事試験場・水産試験場・測候所などが挙げられる。 新築施設の事務簿の枚数は巡査派出所等の小規模工事で数十枚、大規模な郡役所・学校で数百枚を数える。県営繕組織のある長崎市から遠い場所での工事では臨時雇の建築技術者(工場雇)を常駐させて工事監理を行っている。これらの内容のを見ると、明治後期の状況と類似してはいるが、工事入札に関して、工事請負希望者への周知、請負契約書の内容が成熟していないなどの特徴が挙げられる。
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