研究課題
基盤研究(C)
明治30年から37年の長崎県の営繕組織の活動について「事務簿」を主な資料として捉えた結果、明治36年に竣工した長崎病院の工事がこの時期最大の工事であり、また、国策であった教育施設の建設が多いことが把握された。また、工事の量によって技術者が全国から招請され、その中には建築の専門教育機関出身の技術者も見られる。この技術者の異動が日本全体の技術力向上に寄与した一因と考えられる。