今年度は、地方都市に拠点を置いた建築家の活動と評価に関する研究-愛知県での事例研究の第1年目として、研究の基礎的データとなる「愛知県在住建築家・建築技術者リスト」の作成を試みた。これは、旧建築学会(現・日本建築学会)所蔵の会員名簿(1904〜43年)を基礎的資料として、日本建築士会や関西建築協会の会員名簿を補足資料として使いながら、当該建築家・建築技術者の抽出をおこなった。その所属を見ると、1910年までは、当時、鈴木禎次のように日本でも数少なかった建築の高等教育機関である名古屋高等工業学校の教員を務めながら建築設計に従事していた人物、西原吉治郎に代表される愛知県の建築組織に所属していた人物が中心的存在であり、人数は少ない。しかし、1920年代後半になると、愛知県の建築組織の規模拡大に応じて建築家・建築技術者の人数も増え、さらに愛知県だけでなく名古屋市の建築組織も拡充され、また、鉄道局、逓信局など国の出先機関に所属する人物が増えてくる。1930年代には、豊橋市や岡崎市、一宮市で都市計画事業の実施や公共建築の建設に伴い、建築組織が拡充され、そのような地方都市の市役所に所属する建築技術者が生まれる。 このように公的機関に所属した建築家・建築技術者の増加の一方で、民間の建築組織に所属した建築家の数はさほど増えていない。これは、実態として建築事務所の数が増えなかったのではなく、建築学会、日本建築士会、関西建築協会の会員となっている民間の建築家の数が相対的に増えていないためである。
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