今年度は、地方都市に拠点を置いた建築家の活動と評価に関する研究-愛知県での事例研究の第2年目として、第1年目に引き続き研究の基礎的データとなる「愛知県在住建築家・建築技術者リスト」の作成を試みた。これは、旧建築学会(現・日本建築学会)所蔵の会員名簿(1904~43年)を基礎的資料として、日本建築士会や関西建築協会の会員名簿を補足資料として使いながら、当該建築家・建築技術者の抽出をおこなった。特に、旧建築学会所属の会員数の変遷を見ると、1899~1922年では、会員数が100名を超えることはなく、また、全会員数に占める愛知県在住の会員数の比率も概ね1~3%で推移している。しかし、1924年には、会員数が100名を超え、1929年には300名を超え、1930年代になると400名を超えた。これは、単に会員数が急増しただけでなく、全会員数に対する愛知県在住の会員数の比率も1929年には4.32%、となって初めて4%を超え、さらに、1931年には5.83%となって、5%を超えた。以後、5~6%代で推移している。このような会員数の増加と比率の増大の原因として、次の5点が考えられる。1点目は、愛知県、名古屋市の建築組織の拡充に伴う人員増加である。2点目は、市街地建築物法の施行により、建築申請・許可をおこなう部署として内務省・警察関係の部署が愛知県に設けられ、そこに建築技術者が採用、配属されたためである。3点目は、豊橋、岡崎、一宮といった地方都市での建築組織の拡充による人員増加である。4点目は、政府の中央官庁の出先機関として逓信局や鉄道局の建築組織の拡充が図られ、人員が増加したことである。5点目は、施工を中心とした民間の建築会社所属の建築技術者の増加である。
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