研究課題/領域番号 |
20560601
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研究機関 | 名古屋大学 |
研究代表者 |
西澤 泰彦 名古屋大学, 大学院・環境学研究科, 准教授 (80242915)
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キーワード | 近代建築 / 地方都市 / 愛知県 / 建築家 / 木造 / 鉄筋コンクリート造 |
研究概要 |
平成23年度は、平成22年度までの成果に基づき、愛知県営繕課、名古屋市建築課、国家機関の建築組織(逓信省・鉄道省)、民間建築家(中村與資平、村瀬国之助、松本善一郎、鈴木禎次、清水組名古屋支店)の活動について調査を進めた。その結果、次の4点のことが明らかになった。 1点目、愛知県や名古屋市の建築組織の活動について、濃尾地震(1891年)の影響により、愛知県や名古屋市では煉瓦造建物への不信が募り、その後、建て替えられた愛知県庁舎(1900年)、名古屋市庁舎(1909年)は、当時の各地の庁舎が煉瓦造であったにもかかわらず、いずれも木造建物となった。 2点目、国の建築組織について、逓信省による名古屋逓信局(1938年)、鉄道省による名古屋駅(1937年)は、鉄筋コンクリート造建物として、当時の最先端の構造、意匠を持った建物であった。 3点目、1920年代から1930年代にかけて、豊橋、一宮、岡崎といった地方都市では、独自に公共建築を建てていくが、そこでは、民間の建築家に設計を依頼することがあった。また、豊橋市による鉄筋コンクリート造校舎の推進、一宮市による市役所のオープンカウンターの採用は、いずれも地方都市としての水準を大きく超えるものであった。特に、一宮市役所のオープンカウンターは、日本最初の試みであり、戦後の市庁舎建築におけるオープンプランの原形となった。 4点目、清水組名古屋支店が設計した日本徴兵保険名古屋ビルでは、コアのある基準階平面、消火栓や報知機の完備、中央制御システムの導入、という点において、当時の事務所建築の最先端であった。 以上のことより、1920年代から1930年にかけて愛知県にあった建築組織や民間建築家の活動は、高水準な活動を展開していたといえる。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
平成23年度に予定していた愛知県で活動した建築家・建築組織の活動内容の把握と評価について、愛知県庁舎、名古屋市庁舎、名古屋逓信局、名古屋駅、豊橋市公会堂、豊橋市の小学校、日本徴兵保険名古屋ビルを中心に情報を集めることができた。
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今後の研究の推進方策 |
平成23年度までの成果に基づき、i)建築組織の変遷、ii)民間建築家の経歴の確認、iii)建築組織と民間建築家の活動の位置づけ、の3点をおこなう予定である。特に、iii)について、当該地域での近代化に対する社会的役割を明確にし、他の地域の建築家との比較をしながら、活動の位置づけを明確にする予定である。
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