平成24年度は、平成23年度までの成果に基づき、愛知県営繕課、名古屋市建築課、国家機関の建築組織(逓信省・鉄道省)、民間建築家(中村與資平、村瀬国之助、松本善一郎、鈴木禎次、清水組名古屋支店)の活動について調査を進めた。その結果、次の3点のことが明らかになった。 1点目、『建築雑誌』『建築と社会』の創刊号より1945年までのバックナンバーをすべて閲覧した結果、愛知県営繕課や名古屋市建築課の活動が、それらの全国的な雑誌に報じられた例は少なかった。両者に取り上げられた建物は、名古屋市公会堂、名古屋市役所庁舎、汎太平洋平和博覧会、愛知県庁舎の4件だけである。原因は、両者ともに雑誌編集が東京や大阪でおこなわれていたため、愛知県や名古屋市の情報が不足していたことである。 2点目、国の建築組織について、逓信省による名古屋逓信局(1938年)、鉄道省による名古屋駅(1937年)は、鉄筋コンクリート造建物として、当時の最先端の構造、意匠を持った建物であったが、『建築雑誌』や『建築と社会』がともに扱った建物は、名古屋駅だけだった。 3点目、1920年代から1930年代にかけて、豊橋や一宮といった地方都市では、独自に公共建築を建てていくが、そこでは、民間の建築家に設計を依頼することがあった。中村與資平が設計した豊橋市公会堂、松本善一郎が設計した一宮市役所はその例である。前者は、建物正面に大階段を設けている点と建物正面の中心軸を当時の市街地の幹線街路の中心軸に合わせた点が、日本の公会堂として稀有な例であった。後者は、オープンカウンターの採用という戦後の市庁舎の原型となった先進的な試みがおこなわれた。しかし、いずれの建物も『建築雑誌』『建築と社会』で報じられることなかった。 以上の成果と平成23年度までの成果を合わせて、研究成果報告書を作成した。
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