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2011 年度 実績報告書

御手伝普請を通じた建築情報の地方伝播に関する研究-徳川家霊廟の地方寺社への影響-

研究課題

研究課題/領域番号 20560603
研究機関熊本大学

研究代表者

伊東 龍一  熊本大学, 大学院・自然科学研究科, 教授 (80193530)

キーワード徳川家 / 霊廟 / 御手伝普請 / 地方 / 伝播 / 屋根形式 / 装飾
研究概要

今年度は真田家の御霊屋を調査した。対象は、初代信之御霊屋・万治3年(1660)、2代信政御霊屋(林正寺本堂)・万治3年(1660)、3代幸道御霊屋(長国寺開山堂)・享保12(1727)、4代信弘御霊屋・元文2年(1737)の歴代藩主、および初代信之3男・真田信重御霊屋(慶安元年1648)、初代信之夫人・大蓮院(小松姫)御霊屋(大英寺本堂)・元和6年(1620)寛永元年(1624)移築である。
これらを通観すると、歴代藩主の御霊屋は、享保期の3代幸運までは入母屋造で、宝形造は藩主以外に限られるのに対し、藩主でもそれ以降はいずれも宝形造となっている。また、18世紀以降の御霊屋は装飾の簡略化がみられる。このうち、3代幸道の御霊屋については、建立後、わざわざ入母屋造を宝形造に改造していることが注目される。徳川家霊廟においては、本廟である増上寺や寛永寺の霊廟では、将軍は入母屋造、夫人や将軍生母はおおむね宝形造、紅葉山の霊廟では、将軍廟であっても宝形造であったことから、屋根形式の点で、入母屋造は宝形造よりも格式の点で上位にあるとの位置付けがあるようにみえる。これらの点から、18世紀においては大名の御霊屋において入母屋造採用に対する規制あるいは自粛があろた可能性がある。享保5年には、徳川家霊廟の御仏殿等以下を造営しなくなるかち、大名家においては、御霊屋の造営するにしても装飾性にも抑制をかけることがおこなわれた可能性がある。
また、福井藩・広島藩・熊本藩・津軽藩・延岡藩等の御手伝普請における日光東照宮をはじめとする徳川家霊廟修理に関連する関係史料を分析した。現存する史料にみる限り、18世紀以降の修理に関するものが大半で、ビジュアルな史料は少ない。当初は豊かな装飾の技法や形式が地方にもたらされた可能性を想定していたが、すでに装飾性の点では地方でも一定の高まりをみせていた時期であり、明確な影響は見いだせていない。しかし、ビジュアルな史料の残る福井藩・広島藩の場合を中心に検討を行った。

  • 研究成果

    (1件)

すべて 2012

すべて 図書 (1件)

  • [図書] 寺社の装飾彫刻(「彫物の江戸時代」を担当)2012

    • 著者名/発表者名
      伊東龍一
    • 総ページ数
      183
    • 出版者
      日貿出版社

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公開日: 2013-06-26  

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