江戸幕府の造営した徳川家霊廟は、諸大名が営んだ霊廟建築の規模や構造・意匠に大きな影響を与えた。17世紀までは、諸大名の霊廟は、比較的多様性に富み、その中には規模の大きなものや極めて装飾性に富んだものもあったが、概ね18世紀以降になると、梁間1間四方~3間四方の平面で宝形造、彫物等の装飾は向拝などに限定されるような統一的な形式となるものが多い。徳川家霊廟の規模・形式を越えないという条件の上で、大名家に相応しい格式で造営されたと思われる。 幕府の様式の伝播に、御手伝普請の影響を実証的に証明することのできる例はそれほど多くはなかったが、工事を通じて生じた人的な関係が職人を地方に招聘することになった例、工事の際に作成された絵図や記録が地方にもたらされた例の存在は明らかである。実際には、堅苦しい造営関係記録ではなく、紀行文の類が与えた影響も大きかったと思われる。
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