平成20年度の研究では、下記のことを明らかにした。 (1)現地カリフォルニアでは、1920年代末から30年代にかけての資料が極めて少ない。その理由は日米関係の悪化によるものと思われる。しかし地方の資料館や公文書館では断片的ながらも資料が保管されている。 (2)日本の移民送り出し地でも、行政的文書は中国東北部への移民が中心で、アメリカへの移民の公的な資料収集は少ない。中国東北部への移民が行政的に行われたのに対し、19世紀末から20世紀初頭のアメリカ移民は個人あるいは民間による移民だったことの反映であろう。 (3)カリフォルニア稲作に関与した移民の資料は、日本では少ないが、二世及び縁者が少数ながら生存しているため、彼等からの聞き取りに依存せざるを得ない。 (4)カリフォルニア稲作に関与した日本人移民は、当初は地縁・血縁に基づいて経営していたが、稲作開始後数年で、出資に基づくビジネス・パートナーによる経営に転化している。 (5)カリフォルニア稲作に関与した日本人移民の学歴は多様である。また母国における稲作経験の有無も多様である。 (6)鳥取、山口、広島、和歌山、愛知、新潟、山形等からの移民が稲作経営者に多く、個人経営から会社形式への経営転換を1910年代後半にはすすめている。 (7)当初、日本人移民ネットワークを通じた資金確保、労働力確保だったが、1910年代後半にはホスト社会からの資金、土地の確保を可能にした。基幹的労働力は日本人移民だった。
|