研究概要 |
近年、エピジェネティックな遺伝子発現の制御は、胎生期から生後の神経細胞の分化・成熟と神経構築に重要な役割を担うだけでなく、てんかんやうつ病といった脳機能の異常な状態にも関与する証拠が次々と報告されている。 甲状腺ホルモン受容体(thyroid hormone receptor:TR)は、11種類ある、histone deacetylase(HDAC)の一つであるHDAC3と複合体を形成し、ヒストン修飾を制御するとされている。TRは、TRα、TRβに分類され、TRαは脳内に広く分布し、TRβは比較的限局して存在する。げっ歯類を用いたhypothyroidism(新生児期)のモデルでは聴原性てんかんを起こすことはよく知られている。TRβは聴神経の発達に関与し、ヒトではresistance to thyroid hormoneとして知られる独特の脳機能・神経障害を起こすが、TRの異常にはエピジェネティックな変化が関与する可能性がある。 当年度は、TR遺伝子改変マウス(TRα^<0/+>,TRα^<0/0>,TRβ^<+/->,TRβ^<-/->,TRα^<0/0>β^<-/->)を用いて、学習、情動、報酬系に関連した部位を中心に線条体、側坐核、海馬、前帯状回、扁桃体、縫線核、主嗅球の各部位について、ドーパミン、セロトニンと、それらの代謝産物をHPLCを用いて測定し、さらに神経細胞に豊富に発現するクラスIのHDAC(HDAC1,2,3)と、アセチル化ヒストンH3の蛋白発現量を測定した。 その結果、TRβ遺伝子改変マウスでは、線条体で著明なドーパミン量の増加、アセチル化ヒストンH3の増加を認める一方で、HDAC2/3の部位特異的な発現上昇を認めた。さらに、メタ解析の結果では、open field testによる活動量上昇と扁桃体でのHDAC2/3の上昇との間に有意な相関を認めた。 申請者は、抗てんかん薬のバルプロ酸によるHDAC抑制作用が脳保護作用を持つことを報告したが、三環系抗うつ剤でも特定のタイプのHDACの発現量を低下させることが報告されるなど、向精神病薬の作用機序として改めてHDACの作用が注目されている。今回、扁桃体でのHDACの発現増加が、遺伝子発現抑制を介して何らかの病理的変化に関与しているとすれば、HDAC抑制剤による新しい治療法開発につながる可能性があると考えられた。
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