本年度はクワインの真理観について検討した。問題となるのは、「理論の内部からしか真理について語ることができない」という内在的な真理観と、真理に理論を超えている側面があることを認める超越的な真理観をクワインがとっている点である。前者は「真理は何らかの理論を前提にしないと理解できない」ということであり、そこから「理論が真理を決定する」ということが帰結するわけではないということがわかった。クワインはあくまで真理を決定するのは理論ではなく自然であるとする。これは一見すると理論を越えたものを認めている点で彼の自然主義と相反するように見えるが、「真であると思っていたものが実はそうではなかった」ということは科学の世界でもよくあることであり、世界の真理を探究するというスタンスはまさに科学の立場と同じものであるということがわかった。 一方、刺激に基づいて理論あるいは信念が保証されているかどうかを考えることは、物理主義的な前提に立っているとはいえ、比較対象となっている各理論のどれかにコミットすることなく探求することが可能である。そこで探求されていることは、理論とその理論から独立の情報(刺激)との結びつきである。よって、複数の理論を一つの観点から比較するということがクワインの言う「保証」にとって重要なのであり、そのような比較を可能にしてくれる立場としてクワインは物理主義を採用しているということがわかった。物理主義的な情報は、比較検討されている複数の理論のどの支持者にも原理的には同じく参照可能であるという意味で客観的なのである。よって刺激によって理論が正当化されるわけではないと言うとき、デイヴィドソンのように「理論が真にならないことがある」ということを含意しているのであれば、真理と保証された信念を混同しているだけでなく、理論が真理を決定しているという前提に基づいているということがわかった。
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