本研究の目的は、カントの『オプス・ポストゥムム』(以下『遺稿』)一のうち1800年以降に書かれた草稿群の思想を、「批判期」との異同に留意すると共に主としてカントと同時代の思想家との関係や影響を加味しながら、究明することにめる。当年は『遺稿』第7束の「自己定立」に加え、第1束における「超越論哲学」と「超越論的観念論」を中心に研究を遂行した。 「自己定立」に関しては、カントとフィヒテの自己定立論の差異をテクストに即して詳しく論じた研究は殆どなされていない。そこで、フィヒテの自己定立論を「事行」「対自」等の観点から鮮明にし、カントの自己定立論の本質が悟性的・叡智的自我の自己感性化のうちにあることを明らかにした。 「超越論哲学」と「超越論的観念論」に関して言えば、カントは『遺稿』において超越論哲学を実践哲学を含めた哲学の体系とするが、1790年代後半以降、他の思想家によって批判期のカントの用法を超えて理論かつ実践哲字の体糸といり形で、言わば拡大されるようになる。このことを当時の雑誌の「書評」なども活用しながら文献的に証不した。また「超越論的観念論」に関しては周知のように、フィヒテやシェリングをはじめ独自の意味で使われるようになるが、『遺稿』においてカントは「シェリング」のみならず、「スピノザやリヒテンベルクの超越論的観念論」とさえ述べるようになる。日本ではどの点に関する研究はないが、海外ではカントが彼らを積極的に評価したとする解釈が主流である。しかし『遺稿」には批判期と同様、スピノザに対するネガティヴな文言が散見され、リヒテンベルクの書物を実際に繙いても、彼は独断的な観念論に極めて近い考え方をしている。こうしたことから、カントか敢えて前記の表現をするのは、自分とは別種の観念論を批判するためであるといり解釈の可能性を探求した。
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