本年度は、中世日本社会における宗教的世界観の構築にかかわる、思想や技術の担い手、その伝授の方法について考察するとともに、これらの世界観を支える根源的存在であった中世王権の思想的構造や中世に生成した世界観が、次世代にどのように展開したか、考察を進めた。宗教的世界観にもとづく思考規範は、仏教思想に基づく時空間が認識されることにより、社会的な定着を見せはじめたといえる。その思考規範の一つに、主に寺家内で行われた伝承方法である灌頂儀礼が挙げられる。灌頂儀礼は、仏教寺院を離れた文化の伝承方法であり、それが、中世の文化形成に関わっていた点は、つとに指摘されているものである。しかし、このような形式が仏教と直接結びつかない文化相伝の方法が一つの形式として受け継がれてきた事実から、逆に、中世における仏教思想の役割と意義を再確認する必要性を論じた。すなわち、仏教的な相伝の思考規範が普遍的な型として成立し、かつ、宗教的世界観が人間の文化的営みを方向付けていた事実をどう理解すべきかという点である。この点については、引き続き考察を深めたい。また、江戸時代に作成された即位印明伝授に関わる文書の記述を分析することにより、中世で構築された仏教的世界観が、次第に普遍性を失い、逆に特定の家が宗教界を支配するための言説として利用し、結果的に特殊な世界を構築する言説として再編成された点を導いた。一方、仏教が技術的に果たした役割について、中宮御産を事例に考察し、生命の誕生に関連する一つの技術として、医学的技術とは別に、宗教的技術としての仏教の役割を捉えた。中宮を守護し安産祈願、特に皇子誕生を目的とした点は従来の論と変わらないが、安産を祈る呪術的な信仰心が仏教的な思考規範に基づく思想と結びつくことで、技術的な宗教としての意義を獲得し、中世王権の源泉を担う宗教技術の一つとして展開した可能性を指摘した。宗教的世界観に基づく思考規範は、中世社会における文化や技術の進展を形成するものであったが、本研究ではいくつかの事例の過程における宗教の役割を分析することにより、中世社会における宗教の意義とその展開の一端を示した。
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