本研究は、中国、朝鮮半島、日本に現存する"手に供物を持って脆く供養者像"という特徴敵な図像に注目することによって、仏教美術の伝播の様相と伝来ルート(中国→朝鮮半島→日本)を検証しようと試みるものである。 本年度は、中国から朝鮮半島への仏教美術の伝播ルートを探るために、朝鮮半島に分布する供養者像の図像収集に努めた。すなわち三国時代(高句麗、百済、新羅、4-7世紀)の供養者像を中心に、統-新羅までの図像の収集を行った!また、2008年11月上旬には新羅のかっての都・慶州の石窟庵、仏国寺、国立慶州博物館などを訪れ、実見・調査も併せて行った。 現時点までに図版等も含めて確認できた慶州での事例は、塔谷磨崖彫像群と断石山神仙寺磨崖仏像群である。前者は高さ約10メートルの岩の四面に、仏塔、菩薩、天女、三体仏、仁王像、石仏、石塔、修行僧などと共に、花を捧げる供養僧を彫出しており、後者はL字型に削られた岩壁に、多くの仏像を彫出したもので、約7.5メートルの弥勒仏の近くに手に供物を持った供養者像が彫られている。この供養者像は古新羅の服装を身にまとっている点に特徴がある。 このほか、統一新羅のものでは、如来像の台座の八角中台石に供養者や供養菩薩等を表す例があった(宝物第542、541、424、371、220、492、436号他)。 韓国において、古い時代の作例は予想以上に少なく、そこから供養者像の作例を探し出す作業は容易ではない。来年度も引き続き図像の収集を続け、まとまった数の事例が集まった段階で、速やかに図像の分析を行いたい。
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