研究概要 |
2010年4~7月は,前年に収集した資料「ドイツ手工芸工房附属工芸専門学校および教育工房の指導原理,規則,カリキュラム,学則」(1907年)の翻訳を行い,以下のことを確認した。ドイツ手工芸工房はもともと工房内で行っていた家具職人や徒弟の養成を組織化し,より高度化するためにドイツ手工芸工房附属工芸専門学校および教育工房を設立した。そのため,ドイツ手工芸工房附属工芸専門学校および教育工房の教育の基本的な目的は「生産的な素質や諸能力を工芸の基礎の上に発展させること」にあった。加えて,芸術家,手工芸家そして会社はむしろ共に協力して美術工芸における「質」の問題を意識し,「質」を高めていくべきだということも説かれており,ドイツ手工芸工房の方針にはミュンヘン手工芸連合工房やドイツ工作連盟の主張との類似性が認められた。 その後7~8月は主にミュンヘンの中央美術史研究所において,万国博覧会のカタログを中心にドイツ手工芸工房に関わる資料を収集した。9月18日には,筑波大学芸術学美術史学会研究例会(筑波大学於)において「ドイツ手工芸工房附属工芸専門学校と教育工房の教育課程についての検討」という題目で発表を行った。10月~2011年3月はミュンヘン手工芸連合工房とドイツ工房に関する論文の加筆修正を行った。 以上の調査・研究により,ミュンヘン手工芸連合工房が1910年のブリュッセル万国博覧会において,ドイツの美術工芸部門を統括する立場にあったこと,そして合併後のミュンヘン家具調度工房のドイツ工房との関係,さらにはテオフィル・ミュラーのドイツ家財道具工房とドイツ手工芸工房との敵対的関係を突き止めることができた。これらの事実により,1900年前後にドイツに乱立した美術工芸の「工房」は,想像以上に吸収・合併・提携により相互に密接な関係を結び,ドイツ美術工芸の発展に於いて寄与していたことが裏付けられた。
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