2008年6月15日、日本演劇学会全国大会で発表「<Objective Acting>-1940年代のアメリカにおける演出家ピスカートアの演技論-」を行った。ピスカートアは戦中のアメリカ亡命期、ニューヨークに演劇学校ドラマティック・ワークショップを設立し、校長を務めたが、本発表では、その活動が軌道に乗った頃に彼が発表した演技論の演劇史的位置づけを試みた。演じられる役に観客が感情移入することを旨とするスタニスラフスキー・システムが盛んだった当時のアメリカ演劇界で、その逆を行き、観客が実際に生活する空間や現実の事件を意識させるドキュメンタリー的な演劇のアプローチ、またそれに即した俳優術が探求され、一定の着地点を見たことを明らかにした。 またそのドキュメンタリー的な演劇のルーツを再確認する意味で行ったのが、同年11月15日、日本演劇学会研究集会で行った発表「〈キノドラマ〉『嗤ふ手紙』(1937)-「20年後の連鎖劇」?-」である(これは同集会の、20世紀初頭の日本で発展した舞台芸術、連鎖劇をテーマとした企画の一部で、横田洋氏(大阪大学)、志村三代子氏(早稲田大学)の発表と前後して行われた)。本発表では、日本の演出家、千田是也がピスカートアの1920年代の演出を参考にして行った仕事を追ったが、あわせて、演劇に映画を導入したピスカートアの演劇の、同時代世界における影響の大きさを示した。 なお2009年3月刊行の共著『オペラ学の地平』では、現在欧州で活動する二人の演出家のオペラ演出を扱う「ヤナーチェク《カーチャ・カバノヴァー》の演出-マルターラーとタールハイマーの場合-」を担当したが、この二人の演出は既存のテキストにしばられない点で、また現実に起こる出来事を観客に意識させてその良心を喚起する点でピスカートアの演劇と共通する。執筆にさいしては本研究で得た知見を多く盛り込んだ。
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