本研究は、(1) 十五年戦争期に日本政府や軍、外交・文化に関係する諸機関によって、いわゆる「南方」地域を対象として実施された、芸能・音楽を用いた文化宣伝の実態を明らかにすること、(2) それをもとに、「日本」「日本文化」「大東亜共栄圏」といった諸観念が文化的アイデンティティとしていかに構築されたか考察することを内容とする。初年度は次の研究をおこなった。 (1) 国際文化振興会(1934〜72)による、芸能・音楽を用いた対外文化事業の実態を整理し、それらがナショナリズム、アイデンティティ、オリエンタリズムといった概念といかなる関係にあるか考察した。 (2) 日本少国民文化協会(1941〜45)による音楽を用いた事業を整理・分析し、同協会による事業のなかでも行事「「ミンナウタへ」大会」や絵本『ウタノヱホン大東亜共栄唱歌集』は、音楽を用いて「日本国民」(あるいは「大東亜共栄圏民」)を統合することを目指した例であることを指摘した。 (3) 『音楽公論』(1941〜43)誌に掲載された論説を対象にして、「大東亜共栄圏の音楽」がいかなるものとして構想されたか、そうした言説において音楽がひとびとの「生活」と密接な関係を持つものとして論じられたことに注目して分析した。 いわゆる「南方」に向けられた芸能・音楽による文化宣伝が、「大東亜共栄圏」思想に則って実施されるとすると、それは「大東亜共栄圏民」の共同性を形成する試みであったと言い換えることができる。そこで、(4) 音楽による共同性の構築について、英国ギルドホール音楽院の《コネクト》プロジェクトによる創造的ワークショップについて考察し、本ワークショップにおいては参加者の共同性の高まりが認められること、それは現代における新しい音楽創造の手法であると同時に、共同性が喪われた現代において新しい形の共同性を構築するよすがになりうることを指摘した。
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