ドキュメンタリーが虚構性を帯びることに自覚的にならざるをえない状況とは逆に、「作り物の世界」である虚構作品における「作り物のリアリティ」を追究する上でどのような現象が現れているのだろうか。本研究では特に「モキュメンタリー」をめぐる動向に注目することにより、近年の虚構と非虚構との境界線に対する意識がドキュメンタリー表現に対してどのような形で表れているのかを具体例に即しつつ検討した。本研究では米国カリフォルニア大学バークレー校メディア・リソース・センター「モキュメンタリー・コレクション」のリストなどを参照し、モキュメンタリー表現の歴史を展望した。このリストは、「架空の人物や団体、虚構の事件や出来事に基づいて作られるドキュメンタリーの表現様式」を取り入れた、広い意味での「モキュメンタリー」映画を扱っている。近年の「モキュメンタリー」の試みについて分析する営みは、同時に映画史を「モキュメンタリー」の視点から再検討することにも繋がってくるのではないか。 擬似ドキュメンタリーとしてのモキュメンタリーの源流を歴史的に遡りつつ、今現在のモキュメンタリーがどのような形で展開されているかを幅広く概観してみることにより、モキュメンタリー表現の特質に迫ることを目指した。「リアリティTV」に代表される、今日の「セルフ・カメラ」を主体とした表現方式の流行、「モキュメンタリー」(擬似ドキュメンタリー)形式への注目により、「アイデンティティの探求」「文化を見る眼差し」という古くて新しい実存主義的な問い、「メディア・リテラシー」の問題、そしてそもそも「ドキュメンタリーとは何か」という根源的な問いに対する再検討の気運の高まりを改めて確認することができた。
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