本研究では従来のヘミングウェイ研究においてはあまり取り上げられることがなかった『誰がために鐘は鳴る』における「ジプシー」の描かれ方と非ジプシー登場人物たちが彼らに対して抱く人種意識を分析している。その際に、ヘミングウェイが頻繁に訪れていた1920年代および30年代のスペイン・「ジプシー」の生活や彼らと非ジプシーとの関係について詳細に分析した研究者らによる研究成果やヘミングウェイ自身の伝記的背景についても考慮しながら、さらには『午後の死』に登場する「ジプシー」闘牛士の描かれ方についても検討することにより、ヘミングウェイ自身が抱いていた「ジプシー」像を究明した。 そして作品全体を通しての「ジプシー」の描かれ方には、人種的他者としての「ジプシー」の定義(スペイン人が抱いていた排除の対象としての「ジプシー」像)に揺さぶりをかけ、「ジプシー」対非ジプシーという人種的枠組みを乗り越えて好意的により真実の姿を認識しようと試みながらも、同時に人種間対立が前提とする非ジプシーの優越意識に加担しているヘミングウェイの「ジプシー」像がのぞいて見えることを明らかにした。また一方で、スペイン人と共に「ジプシー」との一体化願望を抱きながらも、ヘミングウェイ自身の否定し得なかったWASPとしての彼らに対する優越意識が反映されている点が見出されることも指摘した。 このようなWASPの作家と作品の再評価は、当時のヘミングウェイがいかに白人文化という枠組みを乗り越えることができなかったか、さらには西洋文化がどのようなものであったかを逆照射することになる点においても重要である。
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