北京大学歴史学系の招聘を受け5月から6月にかけての一ヶ月間、当該機関に滞在することができたので、「関於蒙元時代的典籍」「関於三百年前日本博多聖福寺出土銀錠」と題する二度の研究発表を行い、書誌学・中国史の学術交流に参加したほか、中国国家図書館、北京大学図書館で元刊本を中心とする典籍、モンゴル時代の拓本を重点的に調査し、北京市内および郊外の金・大元時代の遺跡、博物館等を訪問した。今年度は、『集史』をはじめとする、モンゴル時代の重要なペルシア語古写本の収集、紙焼き・マイクロフィルム等からのカラー複写、製本等を集中して行った。画像資料として有益なミニアチュールやペルシア語、テュルク語、アラビア語、イタリア語等の同時代資料の収集も継続して行った。さらに、これまでに収集してきた様々な漢文資料や抄物等の情報と照合しながら上述のペルシア語資料の精読につとめ、その成果の一端を三本の論文に纏め「『ユーラシア中央域の歴史構図13~15世紀の東西』と題する論文集に寄稿した。いずれもモンゴル時代の東西交流を実証する有名な根本文献を再分析したもので、フレグ・ウルス(いわゆるイル・カン国)のフレグ・カンとその政治・文化顧問で、マラーガの天文台建設でも知られるナスィールゥッデウィーン・トゥースィーのもとに仕えた中国人学者の名前、モンケ・カアンの命令でフレグのもとに派遣された常徳の目的等を新資料によって明らかにしたほか、現在は散逸している中国医学書のペルシア語翻訳で、14世紀中国語の音韻資料としても有効なTanksuq namahの原本を日本の抄物資料から確定、使用文字が実はアラビックとネストリウス派のシリア文字であることも指摘した。
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