筆者は、仙台藩伊達家を主たる対象に、禁字の問題、官途・受領名の問題、呼び名の問題の3つの観点から名前研究を進めてきた。本研究では、まず、仙台藩に見られるような武家の名前をめぐる諸法令の存在を全国規模で確認し、その概要把握を行うとともに(課題(1))、出来るだけ多くの大名家等について個別具体的な検討を行うことを最終的な課題(課題(2))としており、1年目にあたる平成20年度は、専ら課題(1) に関する作業を行った。その結果、禁字の問題については、新たに、八戸藩、会津藩、松山藩でも禁字政策が見られることが判明し、相互の違いも明らかとなった。また、官途・受領名の問題に関しては、16世紀末〜17世紀前半の法令や分限帳・検地帳等を調査したところ、秋田藩、盛岡藩、庄内藩、米沢藩、三春藩、平藩、福島藩、会津藩などでも大名家臣だけではなく領民たちもが官途・受領名や下司なしの省名・寮名・国名を名乗っている様子が窺え、少なくとも東北各地で、仙台藩の場合と同じように、17世紀前半まで人名における兵農未分離状態が続いていたことが徐々にわかってきている。ただし、百姓名に関しては、近世初頭の仙台藩近江領で国名を名乗る者が見られないという指摘もあり、地域的な差が検出できると思われ、今後の調査結果が期待されるところである。なお、在地の民衆名に見られた武士的要素がいつ頃から払拭されていくのかについては、各藩の名前政策も視野に入れつつ、それぞれの地域における時系列的な変化を丹念に追っていく必要があり、昨年度は手が回らなかった部分である。呼び名の問題については、藩主家成員に対する特定呼称が存在するという点で各藩に共通しているが、中でも会津藩や松山藩で仙台藩伊達家同様の呼称規定が見られることがわかった。ただし、呼称規定と家内秩序との関係性について考察を深めることができず、今後の課題である。
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