本年度は昨年度の調査に引き続き、相良氏の氏寺である熊本県人吉市の願成寺文書の調査・写真撮影を継続し、調査を終了した(総点数約1100点)。また、相良氏入部以前より球磨郡で活動する武士平川氏にかかわる平河家文書(熊本県球磨郡多良木町)の調査・写真撮影を実施し、調査を終了した(総点数14点)。上記の調査により、肥後国球磨郡内における武士団と氏寺(寺社)の変遷を把握することが可能となる。特に(1)戦国期における氏寺の変遷と、寺僧の活動、畿内寺院との関わりが判明する点(権門体制との関わりや近世への展開などへの展望)、(2)西遷御家人相良氏が入部する以前と以後における武士団・氏寺の変化を検討できる点、が重要である。 また、肥前国高城寺文書(佐賀県佐賀市)の写真複製をおこない、現地踏査をおこなった。高城寺文書は、国衙周辺地域における在庁官人層(国分氏・高木氏)と氏寺・一宮(河上神社)の関係性、さらには鎌倉末期のモンゴル襲来とも関わる変化、武士による禅宗受容の様相を検討できる稀有な素材である。とりわけ、(1)在庁官人層の氏寺の様相、(2)武士による禅宗の受容の問題を検討できることにより、先の球磨郡の事例を補完するものとなる。 そのほか、姻田氏関連遺跡(茨城県鉾田町など)、三河松平氏関連遺跡(愛知県岡崎市・三河安城市など)の踏査を実施し、各地の氏寺の事例の収集につとめた。この作業により、上記の調査成果を相対化するとともに、これまでの氏寺研究(奥田真啓氏の成果)を再検討する素材を収集できたことになる。
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