研究の3年目に当たる22年度は、三藩の乱の時期に広東山間地において政治的混乱が安定へと向かう過程を解明することを目指し、研究を進めてきた。特に当該時期に同地で勃発した清朝武官劉進忠の反清叛乱に関して、収集した地方志や档案史料を通し、その叛乱が清朝の広東山間地統治に大きなダメージを与えるとともに、三藩の乱の終結に伴う安定の中で、新たな秩序を生み出す契機となったことを見出した。 また従前の研究成果の一部としてまとめた研究論文「從『密本〓』看順治10年的華南統治政策」が、台湾にある天主教輔仁大学の「輔仁歴史學報」編輯委員会の査読を経て、『輔仁歴史學報』第25期(2011年刊行予定)に掲載されることになった。本論文は、順治期における清朝の華南統治政策を、満洲語史料を用いて検討したものである。本論文を通して、康煕期における清朝の広東山間地統治が、それ以前の統治といかなる連続性・不連続性を持ったものであったかに関する知見を得ることができた。 上記以外に本年度は、昨年度行った日本華僑華人学会大会2009における発表「清朝中期の嘉応州について」の要旨を執筆してまとめた。本要旨は『華僑華人研究』第7号(2010年刊行)に掲載されている。 なお、国内・国外における資料調査は、昨年度と同様の理由により時間の設定ができず、実施が適わなかった。一方で、上述した1ヵ年の研究と研究3年目の成果を通して明らかとなった広東山間地に関する論文の執筆を、年度末において進めた。
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