平成22年度は、スペイン出張時に蒐集した約300点の未刊行文書群の翻刻およびデータベース化を進めながら、その成果に基づく専門的な実証研究を準備するとともに、そこでえられつつある知見の共通性と特殊性をうきぼりにすべく、エブロ川南岸からイベリア山地まで、さらには中央台地(メセタ)からアンダルシアまでを含むイベリア半島全体を視野におさめた比較・総合研究を手がける機会をえた。すなわち、中世西欧封建社会の基礎細胞をなしたとされる城主支配圏と、それを地誌的に実体化する城塞集落の形成が、ラテン・ヨーロッパの辺境に位置し、征服と入植にともなう高い空間的・社会的流動性ゆえに本格的に達成されえなかったと想定されてきたイベリア半島、わけてもそうした特質が最も典型的に表れるものとされてきた中央台地やイベリア山地さえもが、じつは城塞、またはそれ自体城塞と機能的には厳密に区別されえない防備都市を核として空間が再編成された、その意味で城塞集落形成の先進地帯のひとつにほかならなかったことを具体的に明らかにした。また、従来の諸説とは逆に、イベリア半島がそうした先進地帯のひとつとなりえた要因を探るべく、一般にラテン・ヨーロッパの辺境と認識されながらおよそ問われることのなかった「辺境」という概念そのものの見直しを行うことにより、「辺境」がもともとラテン・ヨーロッパにもこの場合にはアンダルスにも厳密には帰属しないなかば独立した空間であり、その領有と管理の必要性が城塞集落形成を他地域にもまして促進したと結論した。
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