本研究遂行期間の最終年度にあたる本年度には、中世盛期エブロ川流域における城塞集落の網羅的な析出作業の成果をふまえ、それらの生成と形態変化の過程が具体的かつ実証的にあとづけられるとともに、同地域の所見をモデルとして、同時期のイベリア半島全体の城塞集落の生成過程を比較・総合的に検証することができた。具体的な研究成果は次のとおりである。 (1)エブロ川流域の実証研究をふまえ、エブロ川以南からイベリア山地まで、さらには中央台地からアンダルシアまでを含むイベリア半島全体を視野におさめた比較・総合研究を手がけた。すなわち、.中世西欧封建社会の基礎細胞をなしたとされる城主支配権と、それを地誌的に実体化する城塞集落の形成が、征服・入植運動による高い人的・社会的流動性ゆえに本格的に達成されなかったとみなされてきたイベリア山地や中央台地さえもが城塞、または空間的かつ機能的に区別されない防備都市を核として空間が大幅に再編成された城塞集落形成の先進地帯にほかならなかったことを具体的に明らかにしたのである。また、城塞集落の具体的な経営形態を知る唯一の史料として、13世紀後半の『セサ城会計記録』原本を、スペイン出張時にウエスカ司教座聖堂教会の文書庫で閲覧・翻刻・調査し、これを材料とした個別実証研究を準備中である。 .(2)本研究の基礎をなす文書史料そのものの生成過程とそれらの保管のあり方をめぐり、とくにウエスカ司教座聖堂教会の文書庫に所蔵される12世紀から13世紀までの約1000点のオリジナル文書の閲覧と翻刻が以上の作業と並行して行われた。とりわけ城塞集落の形成過程をめぐってはそれらのデータベース化が必須であるが、当該作業を念頭におき、同司教座聖堂教会がいかなる系統の文書を13世紀後半に成立したカルチュレールに優先的に筆写・集成し、いかなる文書をオリジナル文書のまま系統立てて分類せずに17世紀の文書庫全体の整理に委ねたかを明らかにし、これを国際研究集会で発表した。
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