本研究の課題は、イコノクラスム論争終結後にビザンツ帝国において進展した教会組織と修道生活の双方にかかわる改革運動の性質を、ビザンツ帝国の記述・考古学資料の分析および同時期の西欧・カトリック世界で進展したいわゆるグレゴリウス改革との比較にもとづいて把握することである。 平成23年度の課題は、ビザンツ帝国の中期から末期にかけての教会・修道院改革の進展について、これまで行った個別の研究の精度を高めると同時に、包括的な研究成果を準備することである。本研究の出発点は、13世紀から14世紀にかけて二度コンスタンティノープル総主教を務めたアタナシオス一世(1289-1293年、1303-9年)によるラディカルな改革運動への関心であり、彼の改革を可能ならしめた諸条件・諸背景と、彼の政治の実態と思想の変遷に焦点を当てたモノグラフの刊行準備を継続した。アタナシオスの改革は、10世紀の修道士、ストゥディオスのテオドロスの「規則」導入をもって始まる修道院の規律強化と、12世紀に在位した皇帝マヌイル1世コムニノスの強権的教会政策の流れを汲むものであったと思われるが、当年度は俗人による修道院経営への法的規制が本格化した11世紀の政治状況、とくに哲学者ミハイル・プセロスのはたした役割に注目した。プラトン哲学に傾倒したプセロスは、総じて修道士勢力を批判的に観察・記述しているが、その批判的な認識は、彼以降の、高位の世俗官吏や聖職者のポストを求めるエリート的知識人に影響を与え、彼らの重視する世俗的教養と、神秘主義的な傾向を強める修道霊性との緊張関係をもたらしたことを確認した。他方で、ビザンツの修道士の生活世界についての地誌的研究にも引き続き取り組み、当年度はトルコ共和国のカッパドキアとカイセリ(カイサレイア)を訪問し、それぞれの集落(とくに前者のギョレメ地区)における中世の市域と修道院の位置関係を調査した。
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