本研究では、大戦間期イギリス帝国における自然災害の要因と対策をめぐる議論の分析から、植民地科学者/官僚の間でグローバルな環境危機論が形成されるプロセスを検証するとともに、その特質を明らかにすることを目的としている。 今年度は、主として「サハラ砂漠の拡大」をめぐる論争と、アメリカ中西部の広域砂塵被害「ダスト・ボウル」に関する議論を取り上げ、植民地科学者/官僚の間で共有されていた環境認識を考察した。サハラ砂漠の拡大論争の分析によって明らかになったのは、インドの森林管理官が19世紀末から提唱してきた乾燥化理論の土壌的側面が、大戦間期には多くの植民地科学者の間に承認されるようになったということである。また、この論争は、土壌浸食をある地域特有の問題としてではなく、世界のどこでも起こりうる普遍的な問題として提示した。同様に、ダスト・ボウルの事例は、土壌浸食問題の普遍化に効果的に用いられた。 1930年代までにイギリス帝国の科学者/官僚の間では、人間が自然に及ぼす負のインパクトが強調され、自然災害は人間の誤った活動によって引き起こされるという考え方が広まった。さらに、こうした被害は世界中に拡大しつつあるという危機感が高まり、同時に、世界が閉じられた空間として認識されるようになった。かれらが最も重要な資源として保全しようとしたのは、土壌であった。世界各地から報告されるようになった土壌浸食や砂漠の拡大は、世界の土地生産力の限界のメルクマールと考えられ、増え続ける人口を支えるだけの食糧の増産の可能性について、悲観的な見方が示されるようになったのである。
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